こんにちは。マサコカネヒラです。
突然ですが、私は父が嫌いです。子どもの頃から性格が合いませんでした。
お互い歳をとって丸くなったのか、今のところ大きな喧嘩をしないで同居できています。それでもしょっちゅうムカついてます。
父が孫(私の子)に「◯◯できないと周囲からバカにされる」と言うのが嫌いです。
例えば
この年齢なら自転車に乗れないと〜
逆上がりができないと〜
九九を言えないと〜
などです。
そういう発言をする人は
・バカにした経験がある(もしくはバカにされた経験がある)
・バカにされることを非常に恐れている(周囲の評価を気にする)
という特徴があると思っています。
※異論は認めます
そもそも、バカにされる・されないという言葉は、普段から人をバカにしている・されている人からしか出てこない。
父は昔、ジャイアンやスネ夫のように、のび太的な友達をいじめてきたのだろうか。それとも、ジャイアンやスネ夫にいじめられてきたのだろうか。
確かに昔はそういう風潮があったのかもしれない。
色々な価値観の決めつけが多かったと思う。男だからしっかりしなさい、女の子はピンクが好き、こういう子は良い子でこういう子は悪い子…。
でも、今は割と個人主義というか、価値観の多様性が認められてきた。給食は無理に全部食べなくて良い、ランドセルの色は男女ともに何色でも良い、この子はこういう性格で、あの子はこういう性格で…。
のび太はあやとりや射撃が得意だ。アニメの中では「男があやとりかよ!」といじめられるけど、現代ならそれなりに友達に尊重してもらえると思う。現代ののび太的な子は結構生きやすくなっている気がする。
また、「◯◯できないとバカにされる」と言われて育った子は、◯◯ができない人をバカにするようになる。親からバカにしても良いと教わっているからだ。
そうやって育てられ、人をバカにするようになった子が私だ。今は改心したが、当時の私は色々拗らせていた。バカにされまいと頑張り続け、バカにされるのを何よりも恐れていた。自己肯定感はずっと低かった(この話はまた別の機会に書くかもしれない)。
私の元々の性格など、他の原因もあるかもしれないが、「◯◯できないとバカにされる」という呪いは結構強かったと思う。
私のような子に育てたければ、同じように育てるといい。あまりおすすめはしない。
だから私は息子に「◯◯できないとバカにされる」と言わない。お友達ができて息子ができないことがあっても「そうなんだ〜」で終わりだ。
例えば、クラスの半数が逆上がりができて、息子はできない。息子は良くも悪くもマイペースで全然気にしない。もし、息子が「できるようになりたい!」と強く望むのであれば頑張ればいいし、別に…ならそのままでいいと思う。
下の子は3歳後半だがオムツがはずれる気配がない。スキビディトイレが怖いらしく、トイレに近づこうともしない。私は彼がはずしたいときにパンツにすればいいと思っている。小学校にオムツで行ってもいいと思っている。
これが正解なのかは分からないが、我が家はこう育てている。なるようになるさ。
この前、食べるのが遅い息子に父は「給食を時間内に食べられないと小学校で友達にバカにされる」と言った。
確かに遅いよ。でもその言い方が嫌いだ。真っ向から批判すると逆ギレするのは分かっているので「今はそうでもないと思うけどね〜、個人主義だからね〜」と私はやんわり言った。
「でも時間内に食べられないとダメだろ。協調性大事だろ」と返ってきた。
うん、協調性大事だよ。でもバカにされるかどうかは別だ。これで私を論破した気になっているのか。いつもこうだ。だから嫌いだ。
私は無視した。会話は終了。平和的解決☆
愚痴っぽい話になってしまいました。
終わりです。