こんにちは。マサコカネヒラです。
もう色んな方が考察を書いてると思うけど、自分の言葉で感想を述べたいと思います。
ありきたりだけど、カオナシは全ての人間の中にある承認欲求がモンスターになった姿だと思う。
みんなが欲しがるものを出してちやほやされて、他人の言葉を借りて偉くなった気になっている。あれ?似たような人SNSにごまんといるよね☆
あるコミュニティでそれなりの権力を持てました。そしてカオナシは幸せに暮らしました。めでたしめでたし…にはなってない。
望んだものは手に入れたはずなのに、なぜかカオナシは満足していない。本当に振り向いて欲しい人には見向きもされないのだ。悲しい。
カオナシが欲しかったのは、湯屋で豪遊できる権力ではない。みんなにちやほやされたかったわけでもない。カオナシ自身を認めてくれる人だったのだ。
化粧で盛った顔より、すっぴんの顔を愛してくれる人的な。
それは最初に接してくれた千(千尋)、そしてゼニーバだ。
千はちょっとそれどころじゃなかったけど、最終的にカオナシはゼニーバのところに残ることになった。良かった。この映画はカオナシ的にはハッピーエンドなんじゃないか。
承認欲求についてはまあ、肥大化すると大変だからほどほどにね…、ということでこれ以上は言及しない。
私が特に述べたいことは以下2点だ。
●環境を変えればどんな人でも必要としてくれる人がいるかもよ
●「自分が無い」生き方もいいんじゃないか
湯屋では千尋にしかまともに接してもらえなかったカオナシ。それで巨大化して暴走しちゃうんだけど。
でも、湯屋を離れて出会ったゼニーバはカオナシを必要としてくれた。これは嬉しかったと思うよ。
だから、環境を変える、会う人を変えるってのは大事だと思う。今住んでる地域や属してるコミュニティが全てじゃないからね。その中で上手くいくように改善するのもまあ大事だけどさ、なんかもう根本的に合わない場合もあるからさ!そういう時は外に目を向けてみるのもいいと思う。
そのままのカオナシって、「あ… あ…
」しか言えないし、黙って千尋について行っちゃうし、なんかいかにも「自分が無くて流されちゃうヤツ」という印象を受ける。
私は若い頃、そういう人は嫌いだったし、そういうふうになりたくないと思っていた。
でも、歳をとって「そういう人がいてもいいよな」と思うようになった。
全員が「自分の夢!希望!一直線!」だったらこの世界は成り立たないわけで。大志を抱いて一直線な人を助ける人、巻き込まれる人、応援する人、ライバル関係になる人。色んな登場人物がいて、大きなことを成し遂げることができるんだよね。多分。
カオナシは特にやりたいこともないまま海列車に乗った。ゼニーバに「ここで働かせてください!」と頼んだわけじゃない。でもゼニーバはカオナシの助けを必要としていて、カオナシも居場所ができて嬉しい。偶然が生んだ出会いだったが、結果的にウィンウィンになっている。
幸運というと、努力した末に目標を達成したり、夢を叶えたり、というのをよく想像する。でも、ふらふらと行き着いた先で掴む幸運というのもあるよなぁ、と思う。そして、そんな人がいてもいいよなぁと思うし、私も割とそういうタイプの人間だと思うw
てか、こんなことまで考えさせられる千と千尋ってすごいよね!神かな。
次見た時もまた新たな考えが浮かびそうだ。
長くなりましたが、これで終わりです。