こんにちは。マサコカネヒラです。
幸せについての続編です。
幸せ・不幸せは脳内で作り出したもの。
じゃあ我々は脳内で作り出したものとどう付き合えばいいの?と思い考えました。
結論は【どう付き合ってもいい!私は幸も不幸も思いっきり満喫する!】です。
・・・はぁ??と思った方は、ぜひ記事をご覧ください。
※異論は認めます
幸せな時はまあいい。きっと嬉しい、楽しいと感じる状況なんだろう。
問題は不幸を感じる時だ。辛い、嫌だ、苦しい、つまらない。快とは反対の状況なのだろう。
なのでこの不幸(苦しみ)をどうするかについて主に考えた。
苦しいと感じた時、その状況は簡単に変えられない時。例えば奴隷として働いてて逃げられない、とか。その時人間はどう考えるのか。
何となく選択肢を考えてみた。
▶救済を信じる
苦しみを耐えた後には幸運が待っている。だから今は辛いけど頑張ろう。
宗教はこういう面があると思う。良い行いをしたら神が救ってくれる。最後の審判で天国に行ける。だからキリスト教やイスラム教は世界に広まったんだろうな。
▶自己の内面を変える
神の救いはない。逃げられない。外部環境は変えられない。ならば自分の受け取り方を変えてみようか。
心を無にして嫌な仕事に取り組むとか、嫌なことの中にほんの少しでも好きな部分を見つけるとか。外部環境は不自由だけど、心の中の自由に気づいて、色んな妄想を膨らませることもできる。
外部環境に対する認識を変えるという意味では、ニーチェ的な思想も当てはまると思った。「神は死んだ」のニーチェね。
彼は、この世界のものは全て意味がないと考える。自分自身もそうだし、自分を不幸にした物や出来事も、何もかも。人生のゴールも、神の救いも無くて、同じ人生を何度も何度も繰り返す。嫌すぎて発狂しそうなこの世界で、じゃあどうやって良く生きたらいいの?と考えまくったニーチェ。この答えは…私の解釈では「今この瞬間」「自分」にめちゃくちゃ集中すること、だと思う…!今、呼吸してる自分、辛いと思ってる自分、この世界に立っている自分、ほら、生きてるじゃないか、みたいな感じ?ニーチェの本難しくてちゃんと解読できてないと思う。誰か詳しい人教えて(土下座)
▶苦しさを思いっきり味わう
脳内で作り出した苦しみから目を逸らさない。今私は苦しい、苦しいんだーー!!!
ただ辛い苦しいと愚痴をこぼすのもいい。泣きまくってもいい。時間が経てばすっきりするかもしれない。
この苦しみのエネルギーを何かにぶつけるのもいい。怒りや苦しみから生まれた芸術作品はたくさんある。きっとそういう作品って人の心を動かすんだろうね。
逆に、幸せな時も存分に浸ればいい。超超幸せオーラが溢れた作品もたくさんあるよね。
多分、不幸を感じた時の対処法的なものは他にも色々ある。
どれが1番良いとかは無い。
自分が納得して生きられればいい。
ふと、私は不幸だと感じた時どうするのか考えた。
少し前にギャンブル依存症の夫と別居した。人並みに辛いと感じた。
最初は「私が頑張れば状況は改善できるはず」「いつかは報われる」と思って結婚生活を続けた。でも、報われず。祈りが足りなかったか。
次に哲学や宗教の本をたくさん読み、この状況に対する私の解釈を変えようと試みた。面白くて勉強になったが、苦しみは変わらなかった。
そして今、この苦しみをネタにしてブログを書いている。苦しみを思いっきり味わって、そのエネルギーで文章を書いている。最高に楽しいww
長くなってしまいました。
次の記事は、「こんなことぐるぐる考える余裕があるなんて、ある意味幸せだよな」と思った話です。
興味のある方はお楽しみに。